Dr.西山の渡航外来よもやま話

 

第11回 旅と水あたり −旅行者下痢症−

 以前、私は、外務省海外巡回健康相談中央アジアチーム団長としてアゼルバイジャン、ウズベキスタン、キルギスタン、タジキスタン、カザフスタンと計5カ国を18日間巡回してきました。一見なじみのない国々ですが、たくさんの日本人が、お世辞でもよいとはいえない衛生環境で、がんばって働いておられました。そこでいろいろな健康指導を行ってきましたが、そこで屈強な青年海外協力隊の男性が相談に来ました。

 相談内容ですが、それは下痢についてのことでした。彼は任地に赴任して以来、頑固な下痢に悩んでいるとのことでした。また、日本に帰国すると下痢は止まるとのことでした。赴任前に病原微生物による下痢については十分教育を受けてきましたので、食事や飲み物には十分注意して、必ず火を通しているとのことでした。しかしよく聞いてみると、使用している水は現地の水道水を煮沸して飲用に使用しているとのことでした。確かに感染症に対しては十分気をつけて対策をたてていることがわかりました。そこで、ふと、私が現地のホテルに入ってシャワーを浴びた時のことを思い出しました。この地域の水道水は非常に石鹸の泡立ちが悪いことを思い出したわけです。つまり、この地域の水は硬水で、成分にカルシウムがたくさん含まれていることが推測されたわけです。

 便秘に対して私たち医師はよく、酸化マグネシウムというお薬を処方します。この酸化マグネシウムを飲むと消化管内の水分の保持ができます。つまり便が柔らかくなり、便の体積が増加し排便がスムースになるのです。これは腹痛を伴わない現症で、軽い便秘には最適の処方です。今回の相談者は確かに頑固な下痢はありますが、食欲はあり発熱、腹痛はありません。つまり、彼は現地の水道水に十分以上に含まれているカルシウムやマグネシウムによって、下剤を常に飲んでいるのと同じ状態だった訳です。下痢するのは当たり前です。

 そこで、飲用水はできるだけ市販しているミネラルウォーターを用いていただくことにしました。カルシウムやマグネシウムは人の体を維持するのに必要ですが、過ぎたるは及ばざるがごとしの格言はうまくいったものですね。このような現象は中央アジアで働いている日本人からしばしば聞かれ、特にタジキスタンでは「タジク腹」と呼んでいるようです。

 昔から日本では旅をするときは水に気をつけなさいとよく言われたものですが、実はその通りなんですね。よく旅のテレビ番組で、わき水を手でくんで飲むことがあります。これは外国では当たり前ですが、わが国であっても、医学的に危険です。特に雨の後のわき水は土壌に含まれているいろいろな雑菌・寄生虫などが混入しているので、なお危険です。わが国の場合、特に北海道ではもっと注意しなければなりません。この地域ではエキノコッカス症という寄生虫疾患があるからです。エキノコッカスの虫卵をわき水や簡易水道の水と一緒に経口摂取し、エキノコッカス症に罹る可能性があるからです。北海道のエキノコッカス症についてはまた、項を改めてお話しすることにしましょう。

 

 さて、今回は病原微生物以外の旅行者に多い下痢の原因をお話ししましたが、発展途上国で水などを飲んで下痢をする病原体をご存知ですか。発展途上国の水道水は、わが国や、いわゆる欧米の先進国といわれる国々と異なり、水道の内圧が少し低いことが多いのです。つまり、水道の内圧が高い場合、水道管が少しひび割れても水道管から外に水道水が漏れ出るだけなのですが、内圧が低い場合、水道管より外の土を逆に吸い込み(サイホンの原理ですね)水道水が土にまみれ汚染されてしまいます。このような土壌の混入した水道水を不用意に生で飲んでしまって起こる病気としては、病原性大腸菌群の毒素性大腸菌による感染症、キャンピロバクター感染症、細菌性赤痢、ロタウイルス感染症、ノロウイルス感染症、アメーバ赤痢、ランブル鞭毛虫症などの細菌、ウイルスや寄生虫による感染症です。このような病原微生物による下痢は、飲食物を十分煮沸したり、加熱調理することで防ぐことができますが、今回の硬水による下痢や、香辛料の強い食事をとることによる下痢、旅行という非日常的な行動をすることで精神的緊張に由来する機能性の下痢なども海外旅行ではしばしば見られます。旅行の初期は飲食物には注意していることが多いので、むしろ病原微生物が原因では無く、このような硬水、香辛料、枕が代わることによる下痢が多いのかもしれませんね。


       文責:海外渡航者医療センターセンター長 西山利正




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