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関西医科大学
心療内科学講座 |
| 教授/中井 吉英 |
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| 心療内科学講座の誕生 |
古代インドでは「生命には7年ごとのリズム」があると言われていた。私が昭和61年9月(1986)九州大学心療内科を退職し関西医大に戻ったのも7の2倍の14年目である。平成5年12月15日(1993)に複合講座としての心療内科(関西医科大学第一内科学講座心療内科部門)が誕生したのも本学に戻ってから7年目である。
心療内科学講座として、独立講座になった平成12年4月1日(2000)も7年目である。不思議である。偶然の一致なのか。次の7年目(2007)には、なにが起こるのだろう。楽しみである。 |
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| 心療内科の現状 |
心療内科(学)は日本にしか存在しない。もともとドイツで「心身医学」という言葉が誕生し、米国に渡って精神分析を専門とする精神科医を中心に、「心身医学」が実質的に誕生し、やがてリエゾン精神医学へと形を変え発展した。ドイツは内科医を中心に「心身医学科」として内科、精神科とは別に発展し、ほぼ、すべて医科大学、医学部に「心身医学科」が設置されている。
わが国の心身医学は内科医を中心に「心療内科」という名称で発展した。しかし、わが国には5つの講座しか存在しない。平成8年(1996)、厚生省が標榜科名として「心療内科」を認定して以来、巷に心療内科を標榜するクリニックや病院も増えた。しかし、その9割は精神科である。敷居が低くなり、患者数が増えることもその理由の一つであろう。現在の医療は縦割りである(その責任は医学教育を行う大学にも大いに責任があるが)。しかし、感染症を中心にした従来の疾病構造が大きく変わり、生活習慣病、老人病、ストレス関連疾患などが激増した。臨床の対象は複雑かつ変質し、疾患の要因も多様化した。従来の縦割り医療では対応しきれなくなたのである。
もともと心身医学はこのような医学・医療への反省から出発した。従って、心身医学は特別な疾患を対象とするのではなく、その「みかた」が異なるのである。biomedical
modelをベースにした線形、要素還元主義からbio-psycho-social-medical modelに基づいたシステム論的、非要素還元主義的な「みかた」である。なになに科といった縦割りにとらわれない横断的な「みかた」なのである。
このような心身医学の特徴は、皮肉にも心療内科のアイデンティティを育む障害にもなっている。しかし、医学と医療は、われわれ医療に携わる者のためにあるのではなく、病者のためにある。思考の視座が病者中心でなければならない。心療内科の横断的、全人的医療は従来の医学・医療の先を行っている。質の高い人間的な医療を実践するためには対話が必要である。それは患者の視点に立った、医療者同志(コ・メディカルを含めた)の対話である。セクショナリズムに陥ってはならない。そのようなプロセスのなかでこそ、心療内科のアイデンティティを確立していくべきであろう。 |
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| 心療内科(学)とはなにか |
「心療内科とはなにか」と問われたとき、自信をもって明確に答えられる心療内科医が何人いるだろう。まして他科の医師はほとんど理解していないのが現状である。一般の人にはなおさらであろう。にもかかわらず、社会の心療内科に対する期待と要望はますます高まっている。私は具体的な病気や例をあげながら、次のように答えている。
1) 身体と心を分けずに、疾患を診るのではなく病気をもった患者を診る内科医。
2) 内科領域の中で、心身相関あるいは身心相関の病態について研究(基礎および臨床医
学)、診療、教育を行う医学。
3) 西洋医学に足場を置き、東洋医学を含めた代替・補完医療との統合を目指す医学が、
わが国の心療内科学。
4) 全人的医療(bio-psycho-social-medical model)の具体的な方法をもつ医学・医療。
5) これらを各科で行うのが心身医療。 |
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| 私たち関西医大心療内科の夢 |
臨床とは個の医学である。個の医学が普遍性に至るためには、これまでの研究方法(科学的手法)から新たな研究方法を模索し確立していかねばならない。良き臨床家はまた良き研究者でもある。良き研究者は良き臨床家でもある。心療内科医として矛盾のない臨床と研究を行い、「心療内科(学)とはなにか」についてエビデンスに基づいた答えを世界に向けて発信していきたい。
私たちのそれが夢である。 |
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