
1856年にネアンデルタール人の化石が発見されて以来、進化論に基づいて現在の人類と類人猿との共通の祖先との間を結ぶ猿人の存在が予測されたが、なかなか化石が発見されず、ミッシング・リンク (失われた環) と呼ばれていた。特にイギリスの古生物学者たちはイギリス本土でその化石が発見されることを熱望していた。
1908年にイギリスはサセックス州のピルトダウンの砂利採石場で作業員が2つの頭蓋骨 (頭蓋冠) 片を発見し、弁護士でありアマチュアの考古学者でもあったチャールズ・ドーソンに渡された。ドーソンは調査を続け、1912年にいくつかの骨片を英国博物館の地質学部門の主管であったアーサー・スミス・ウッドワードのところへ持ち込んだ。ウッドワードはドーソンとともに採石場を再調査し、さらに石器や動物の骨の化石とともに2本の臼歯 (奥歯) のついた下顎骨を発見した。頭蓋冠と臼歯は人間のもの、下顎骨は類人猿のものに類似し、人間の脳と猿の顎をもつこれこそがミッシング・リンクである猿人の化石である (しかもイギリスで発見され、イギリス人の祖先として相応しい大きな頭脳を持っていた!) と学会で発表してセンセーションを巻き起こした。その猿人はイオアンスロプス・ドーソニという学名が付けられたが、一般には発見場所にちなんでピルトダウン人と呼ばれた。翌1913年にはテイラード・ド・シャーディン牧師 (同じくアマチュア考古学者) がピルトダウン人の犬歯を発見した。
発表当時は、頭蓋骨の大部分が失われているため頭蓋冠と下顎骨が一致するかどうか判定できないこと、化石の詳細や年代、発見状況があまり明らかにされなかったことから懐疑的な学者も少なくなかったが、1917年にウッドワードがさらに頭蓋骨の化石を発見して彼らの反論を封じ込め、ピルトダウン人学説は当時の学界の権威であったグラフトン・エリオット・スミス、サー・アーサー・キース、ウィリアム・J・ソラスらにも受け入れられ、確固たる人類学的事実と認識された。
しかしその後北京原人などの化石が発見され、人類の進化の系統が徐々に明らかにされていった。特に人類の脳の発達は進化史上かなり後期に起こったことが判明し、ピルトダウン人の発達した脳は唯一の矛盾例であったため、1950年頃までには学問的にほとんどかえりみられなくなっていた。ドーソンは1916年に死亡していたが、ウッドワードは1948年に死亡するまでピルトダウン人の正当性を主張し続けていた。ところが1949年にフッ素年代測定法でピルトダウン人の化石が極めて新しいことが判明し、1953年には英国博物館の古生物学者であるケネス・オークレイ、オックスフォード大学の解剖学者であるジョセフ・S・ウェイナーとウィルフレッド・ル・グロス・クラークにより、下顎骨がオランウータンの骨で、犬歯は人間のものに似せるために削ってあり、頭蓋冠の骨片は現人類のものだが古く見せるために染めてあることが明らかにされた。動物の化石は信憑性をもたせる小道具であった。
犯人が誰か、また何が動機なのか、当初は全くわからなかった。第一、捏造するには何年もの入念な準備が必要であり、かつ地質学、古生物学、解剖学の専門的知識が必要だった。最も疑われたのは化石を発見したドーソン、テイラード、ウッドワードである。当時の学界の権威だったスミス、キース、ソラスもピルトダウン人学説の成立に大きく関与しており、容疑者に含められた。また、古生物学者のマーチン・ヒントンは、発見当時同地域で暮らしていたが、捏造された時期には英国博物館の動物学部門の修理技師をしていた。さらに、アメリカの人類学者であるジョン・ウィンスローが1983年に唱えたのが、名探偵シャーロック・ホームズの産みの親、サー・アーサー・コナン・ドイルが捏造の犯人であるという説である。
コナン・ドイルが犯人であるとするウィンスローの根拠は、以下の点である。
ドイルはストーニーハースト・カレッジの学生だったが、自然史の偽作者と知られるチャールズ・ウォータートンも同大学に通っており、ドイルは疑いなくウォータートンの偽作に通じていた。
ドイルは化石が発見されたピルトダウンから7マイルのところに住んでおり、ドーソンもウッドワードも見知っていた。偽物の化石を埋める機会が何年もあった。
ドイルは医者であり、偽の骨を作る知識があった。オランウータンの骨をくれそうな人物とも交流があった。
ドイルは原始人に興味があり、1912年に出版されたSF小説「ロスト・ワールド」(ドイルはホームズもの以外に、歴史小説やチャレンジャー教授を主人公とする一連のSF小説も書いており、映画にもなったロスト・ワールドはその代表作である) や未発表の論文「人類の起源」を著している。
ロスト・ワールドの舞台となったアマゾン奥地の高原地帯はサセックス州に似ているし、登場する猿人はオランウータンに似ている。主人公たちがロスト・ワールドから脱出する途中の洞窟内で使っていたたいまつはアローカリアという木でできていたが、当時、ピルトダウンに通じるドライブウェイの並木がアローカリアだった。
動機は降霊術を批判していた世間に対する増悪である。ドイルが晩年降霊術にのめりこんでいたことは有名である。
真犯人が不明のままこの事件は忘却の彼方へ消えようとしていたが、キングズ・カレッジのブライアン・ガーディナーは1953年当時からこの事件の犯人を調べ続けていた。彼の調査結果ではあらゆる状況証拠が古生物学者のマーチン・ヒントンを指していたが、決定的な証拠は得られなかった。
ところが1970年代半ばに、ロンドン自然史博物館 (かつての英国博物館) の塔の修理に伴い、屋根裏部屋からマーチン・ヒントンのイニシャルのついたトランクを、同博物館の (ヒントンと同じく) げっ歯類の化石を専門とする研究者のアンドリュー・カラントが発見した。トランクの中にはげっ歯類の解剖体の入ったビンが多数納められており、無気味な様相を呈していた。しかしその底に、ピルトダウン人骨と同じように削ったり染めたりしたカバやゾウの歯の化石が見つかった。カラントはそれをガーディナーのところへ持っていって年月をかけて分析し、1996年5月にヒントンが捏造の真犯人であることを発表した。
ヒントンは一種の天才であった。1899年、16歳の時に、彼は川の砂礫層中の化石がチョコレート色に変色するのは、鉄やマンガンの酸化物がしみ込むからであるという論文を発表していた。染められていたピルトダウン人骨からは (オランウータンの下顎骨を除いて) 多量の鉄とマンガンと、微量のクロムが検出されていた。これはヒントンが自らの知識に基づいてあみだした染色法を示している。彼はまず骨の表面をクロム酸で腐食し、鉄とマンガン酸化物がしみ込みやすくして染めていた。ただし歯は酸で腐食すると捏造したことが丸分かりになるので、歯のついた下顎骨だけは別の染料で注意深く染めていたのである。1991年にガーディナーは、ヒントンの遺産管理人であったブリストル大学の地質学教授のJ・G・サベージに相談し、ヒントンの遺した何本かのガラス瓶を送ってもらった。その中にはいろいろな方法で染めた8本の人の歯があり、ヒントンがかつて古く見せかけるための染色法をいろいろ試していたことを示唆していた。
ヒントンはまたピルトダウン周囲の地質も熟知していた。ここの地層には化石が見つからず、ばれにくいことを知っていたのである。ヒントンはサセックス州ウィールド地方 (ピルトダウンを含む地域) の地質学者のサークルに入っていたが、1954年に英国博物館の館長のゲイビン・ド・ビアに次の内容を含む手紙を送っている。
「ウィ−ルド地方の砂礫層の中へ後期鮮新世の猿人の化石を捏造して発見したいという誘惑は、このサークルの一部の偏執的なメンバーにとっては抵抗できないものであったでしょう。メンバーはいつもその可能性について話し合っていましたから。」
ガーディナーはこれがヒントンの事実上の自白であると考えている。
ヒントンが捏造を行った動機は、金銭問題にあると思われる。1910年にヒントンはウッドワードに、博物館のげっ歯類の化石のカタログ作りについて、休暇中の雇用を頼んでいる。ウッドワードは了承したが、報酬はカタログ完成後に支払う慣例になっていると答えた。それに対しヒントンは週給として支払うことを要求した。この要求に対するウッドワードの返事は残っていないが、カ−ティスは、ウッドワードは応じなかったろうと推測している。ピルトダウンの捏造化石はこの横柄で堅苦しい古生物学部門の主管に対する理想的な復讐となった。
2000年に日本でも同様の捏造事件が発覚した。東北旧石器文化研究所の副理事長が、30年近くに渡って縄文時代の石器を3万年以上前の地層に埋め、それを掘り出して日本の前期旧石器時代の存在を創作し続けていたのである。常識的に検証すればすぐにでたらめと判明する捏造にだまされ続けてきたのは、ピルトダウン人事件と同じ病根がある。(1) 当時の学界が待ち望んでいた発見であったこと、(2) その発見が民族的優越感を満足させるもので、世間にも熱狂的に迎え入れられる性質のものであったこと、(3) これらの熱狂が冷静な批判を押さえ込んでしまったことなどである。旧石器捏造事件については法医学鑑定とはややフィールドが異なるので、ここでは詳細には触れない。ピルトダウン人事件も本来は人類学や古生物学の分野に属するが、白骨の鑑定や染料の元素分析が法医学鑑定と通じるところが大なので、本章で紹介した。