
ジャック・ザ・リッパー (切り裂きジャック) は世界で最も有名な連続殺人犯である。ロンドンのイースト・エンドのホワイトチャペル地区で発生した女性連続殺人事件は、犯人の動機が不明で被害者の死体に凄惨な傷が認められた、前代未聞の犯罪だった。現在、研究者 Ripperologists によりジャック・ザ・リッパーが犯人であると認定されている事件は以下の5件である (解剖所見等は当時の記録による)。
| 1 | 1888年8月31日 (金) 午前3時30分頃 被害者:メアリー (ポリー)・アン・ニコルズ、43歳。身長 157 cm。 |
| 午前3時45分にロンドン病院裏手のバックス・ロウ通りで死体または瀕死で発見される。発見の30分前まで現場に異常なし。 舌に軽傷の裂創、右頬の下顎縁にそった皮下出血 (拳による打撲または親指による圧迫痕)、左頬の円形の皮下出血 (指による圧迫痕)、左頸部の耳の下から始まる長さ10 cmの刺切創、その2.5 cm前下から始まり右頸部に至る長さ20 cmの刺切創 (頸椎に達し、左右頸静脈を切断。刃の長いナイフによる)、下腹部のギザギザな深い刺切創 (組織を切除)、腹部を左右に走る数条の刺切創、右腹部を下方に走る3、4条の刺切創。 血液は胸部に付着しておらず、通りの側溝に少量の出血が流れていたのみ。 | |
| 2 | 1888年9月8日 (土) 午前5時30分過ぎ 被害者:アニー・チャップマン (通称ダーク・アニー)、45歳。身長150 cm。 |
| 簡易宿泊所の料金が払えず追い出された後、5時30分頃にハンベリー・ストリートで中年男性と立ち話をしている。その数分後に叫び声がし、まもなく死体で発見される。 顔面腫脹・舌挺出 (窒息死を示唆?)、右こめかみ・上眼瞼・右頬・右手の皮下出血、左環指の表皮剥脱。頸部は左から右方向へほぼ全周を切断され、頸椎左側に2条の切創を残す (頸部切断を企図?)。胃内に液体 (アルコール) なし。大きく開腹され、小腸は腸間膜付着部で切除され、肩の上に放置。子宮が (子宮頚部を傷つけないために) 膣上部で切除され、膀胱背面2/3とともに除去 (現場で未発見)。直腸に損傷なし。 解剖医G・J・フィリップスは、「子宮切除に15 cm以上の長さの刃物を用いており、自分でも15分でここまで作業するのは困難」と説明。 | |
| 3 | 1888年9月30日 (日) 午前1時前 被害者:エリザベス・ストライド (通称ロング・リズ)、45歳。身長165 cm。スウェーデン生まれ。 |
| 午前0時40分頃にバーナー・ストリートで1人または2人の男と共にいるところを目撃されている。1時頃に馬車で通りかかった男が死体を発見。 左下顎の歯が全て脱落。両肩・鎖骨下・胸部前面に皮下出血による皮膚変色。左頸部の下顎角の下6.3 cmのところから右やや下方向へ長さ15 cmの明瞭な切創。最初の1.3 cmは浅く、続いて深くなって筋肉と動静脈を切断し、再び浅くなって終わる。右側の血管は損傷なし。右心室に軟凝血が充満し、左心室は空虚。胃内は軽度うっ血し、半消化のチーズ、ポテト、澱粉が貯溜。 (発見が早く、死体を解剖する時間が犯人になかった?)。 | |
| 4 | 1888年9月30日 (日) 午前1時30分過ぎ 被害者:キャサリン・エドウズ (別名ケート・ケリー)、46歳。身長150 cm。 |
| マイター・スクェアで午前1時30分頃に男と立ち話しているのを目撃され、その15分後に警官が巡回したところ死亡しているのを発見 (バーナー・ストリートから約900 m離れたところ)。 左下眼瞼が切除、左上眼瞼から鼻根にかけて擦過痕。右眼瞼も切除。鼻から右頬にかけて切開。左頬に表皮剥脱2個。頸部は左耳の後下から右耳の下まで15〜18 cmほど切られ、左頸部の筋肉、血管と喉頭が切断。椎間板に切創あり。右頸部の頸動静脈も切開。血管内に凝固血。母指・示指間の手背に6ペンス硬貨大の皮下出血。 以下は死後の損傷:腹部は胸骨から恥骨までギザギザに大きく切り開かれ、さらに膣右側まで切開。小腸が引きずり出されて右肩にかけられていた。小腸の一部 (60 cm程度) は切断され、傍らに放置。肝臓に皮膚切開に伴う刺創および切創。膵臓切開、脾臓切断、左腎臓摘出、子宮も一部切除。腹部大動脈に切開。左そけい部に刺創。左腸骨前棘から左大腿内側に至り、左陰唇を切除する切創。同じく右大腿内側から右腸骨棘に至り、右陰唇を切除する切創。腹部血管内は流動血。出血の痕跡なし。 同日午前3時頃にグールストン・ストリートで血のついたエドウズのエプロンの切れ端と、ユダヤ人を中傷する落書きが発見された。 | |
| 5 | 1888年11月9日 (金) 午前4時頃? 被害者:メアリー・ジェーン (マリー・ジャネット)・ケリー、25歳位。身長170 cm。 |
| ケリーは住んでいる下宿屋ミラーズ・コートの自室へ午前3時前に男と入った。4時頃に住人が「人殺し」という小さい叫び声を聞いている。午前8時30分と10時にケリーを見たという目撃者がいるが死亡推定時刻の後。午前10時45分に大家が滞納している家賃を取り立てに行ったところ、死体となっているケリーを発見。 腹部と大腿の皮膚 (外性器を含む) が剥ぎ取られてテーブルの上に放置され、腹腔内は空虚。左右の乳房は切り取られ、腕に複数のギザギザな切創あり。顔はめった切りにされ、頸部は骨までずたずたに切られ、第5・第6頸椎間に深い切り込みあり。第4、第5肋間および心膜は切開され、心臓は存在しない。子宮、腎臓と片方の乳房は頭の下、もう片方の乳房は右足、肝臓は足の間、胃腸と脾臓は体の左右に放置。ベッドの上下は血だまりで、壁に血しぶきの痕。 | |
| ☆ | 1件目の事件の前にも、1888年8月7日 (火) にジョージ・ヤード・ビルディングの階段踊り場で39か所をナイフで刺されて殺害された女性マーサ・タブランがいるが、ジャック・ザ・リッパーの仕業かどうかは不明。 |
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当時の死体検案や解剖では死因はいずれも頸部血管損傷による失血とされたが、アメリカの法医学者エッカ−ト博士は1981年の総説で、ケリ−以外は現場周辺に出血が少ないこと (ケリーは徹底的な解剖により死後血液が周囲に散った)、ほとんど叫び声をあげずに殺されていることから、全員が絞頸された後に頸部その他を傷害されたと考えた。 被害者はいずれも貧民層の女性で、簡易宿泊所を転々と移り住み、路傍の暗がりで手軽に売春しては小銭を稼ぎ、強い酒を買ってアルコール依存症に陥っている (当時の典型)。 骨盤腔内の子宮や後腹膜に埋伏している腎臓をごく短時間で摘出していることから、ジャック・ザ・リッパーは解剖学の知識と経験を有している者 (屠殺業者、ハンター、医師、退役軍人など) と考えられた。 4件目の事件の後、ジャック・ザ・リッパーを名乗る手紙が多数新聞社等に送りつけられる (腎臓片を含むものもあった)。しかし、真犯人からのものかどうかは不明。 当時はスコットランドヤード (ロンドン警視庁) の捜査体制も不完全で、法医学鑑定の知識や技術も乏しく、結局迷宮入りとなった。FBIは犯罪心理学プロファイリングで犯人像を「30歳前後の白人男性で、ホワイトチャペル地区で居住または働き、子供時代に父親の愛情を受けず、破壊的欲望を満足させられる職業についており、連続殺人をやめたのは別の犯行で逮捕されたか容疑を受けやすい状況になったためで、ある種の身体的障害が欲求不満の源泉となっている」とした。当時や後の研究者があげているのは以下の容疑者である。 | <現場周辺の地図>
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| 1 | クラレンス公プリンス・アルバート・ビクター (プリンス・エディー) (1864-1892):ビクトリア女王の孫、国王エドワード7世の長男。 |
| 容疑:貧民街に出入りし、同性愛行為や買春、カトリック教徒との極秘結婚などをし、関係者の口封じに事件を起こす。 評価:生来愚鈍で、晩期変性梅毒にも罹患しており、素早い殺害・解剖は本人には無理? | |
| 2 | ジョセフ・バーネット (1858-1926):魚運搬人、メアリー・ケリーと同棲。 |
| 容疑:ケリーの売春をやめさせるために近所の売春婦を殺害。結局口論の上逆上してケリーを殺害。 評価:FBIによる犯人像と一致 (父親は子供時代に死亡。魚の解体をし、言葉を反復する癖があった)。 | |
| 3 | ウィリアム・ヘンリー・ベリー (1859-1889) |
| 容疑:1889年に妻を殺して絞首刑となる。その手順 (絞頸後腹部を刺す) がニコルズの事件と類似。 評価:FBIによる犯人像と一致。ただし当時はまったく嫌疑をかけられていない。 | |
| 4 | ルイス・キャロル (チャールズ・ラトウィッジ・ドジソン) (1832-1898):数学者、「不思議の国のアリス」の作者。 |
| 容疑:「子供部屋のアリス」Nursery "Alice" (1890) の1節のアナグラムを解くと犯行の告白となる。 評価:かなり無理のあるアナグラム。具体的証拠は皆無。 | |
| 5 | トーマス・ネイル・クリーム (1850-1892):カナダ育ちの堕胎医。 |
| 容疑:1891年にサウス・ロンドンの貧民窟で売春婦を毒殺して絞首刑となる。 評価:以前の殺人で1881年から91年までイリノイ州刑務所に服役し犯行は不可能。方法も毒殺専門。 | |
| 6 | フレデリック・ベイリー・ディーミング (1842-1892):水夫。 |
| 容疑:2人の妻と4人の子供ののどを切って殺害し絞首刑となる。1888年にホワイトチャペルで目撃されたと報道される。 評価:1888年の事件当時は南アフリカにいた。 | |
| 7 | モンタギュー・ジョン・ドルーイット (1857-1888):法廷弁護士兼教師。同性愛容疑で失職し、12月にテムズ川で入水自殺。 |
| 容疑:目撃された犯人?の外観に類似。警察は「医師」と記録。最後の事件の直後に死亡。 評価:物的証拠皆無。目撃証言との矛盾もある。ホワイトチャペル地区には不案内。 | |
| 8 | ジョージ・ハッチンソン (?-?):ケリ−の部屋に入った男の目撃者。 |
| 容疑:証言内容が詳細すぎる。評価:当時はまったく嫌疑をかけられていない。 | |
| 9 | ジル・ザ・リッパー (狂った助産婦)/メアリー・パーシー (?-?):1890年に愛人の妻と子ののどを切って殺害。 |
| 容疑:ケリーの死後ケリーと見間違えられた女性が犯人。助産婦なら夜間でも血がついていても疑われず、解剖学的知識もある。 評価:証明不十分。しかしサー・アーサー・コナン・ドイルも犯人は女性または女装と推理。 | |
| 10 | ジェームズ・ケリー (?-1929) |
| 容疑:妻の首を刺して殺害。イ−ストエンド地区に居住。評価:具体的証拠皆無。 | |
| 11 | ジョージ・チャップマン (セベリン・アントニオビッチ・クロノウスキー) (1865-1903):ポーランド人外科医・理髪師。 |
| 容疑:1888年にロンドンへ移住、1897年から1902年まで3人の妻を次々と毒殺し絞首刑となる。 評価:殺害方法が異なる。1888年当時は英語に不慣れで、年齢、目撃証言と矛盾。 | |
| 12 | アーロン・コスミンスキー (1864-1919):ポーランド系ユダヤ人。 |
| 容疑:目撃者が犯人と証言したが後に撤回。評価:具体的証拠皆無。 | |
| 13 | ジョン・ピッツァー (?-?):ユダヤ人靴屋。 |
| 容疑:チャップマン事件で目撃された男に酷似。評価:事件当時のアリバイあり。 | |
| 14 | 「下宿人」:下宿人が殺人犯だったという小説 (ヒッチコックが映画化) のモデル。 |
| 小説とは別に実話として精神科医フォーブス・ウィンスローがG・ウェントワース・ベル・スミスという下宿人が殺人犯らしいという話を聞いて警察に通報。しかし相手にされず。 画家のウォルター・シッカート (後述) もカムデン・タウンの下宿先の前の下宿人が犯人と表明。しかしその名前を忘却。後に「切り裂きジャックの寝室」(1908) などの絵を製作。 バッティ・ストリートの下宿人、フランシス・タンブルティ (後述) も当時疑われるが逃亡。 | |
| 15 | ジェームズ・メイブリック (1838-1889):リバプールの木綿商人。妻に毒殺されたと疑われた。 |
| 容疑:1991年に連続殺人の詳細と動機が綴られたメイブリックの日記が公表された。 評価:日記は公表したマイケル・バレットらによる捏造であった。 | |
| 16 | マイケル・オストログ (1833-?):ロシア人医師、窃盗犯。 |
| 容疑:当時疑われた。評価:具体的証拠皆無。 | |
| 17 | アレクサンダー・ペダチェンコ (1857?-1908?):ロシア人医師、ロシア秘密警察の工作員。 |
| 容疑:放言家のウィリアム・リキューが1928年に唱えた説。評価:ペダチェンコが実在した証拠皆無。 | |
| 18 | サー・ウィリアム・ガル (1816-1890):ビクトリア女王の御典医。 ウォルター・リチャード・シッカート (1860-1942):ビクトリア朝を代表する画家。 ジョン・ネトリー (1870頃-1904):サー・ウィリアム・ガルの御者。 |
| 容疑:プリンス・エディー (上述) はシッカートに紹介されたカトリック教徒のアニー・クルックと極秘結婚し女児が生まれた。上記3容疑者は、女児の乳母ケリーとその仲間のニコルズ、ストライド、チャップマンが恐喝してきたので口封じのため協力して殺害。エドウズはケリーとも名のっていたので誤って殺害。ドルーイット (上述) を犯人にするために殺害。当時の副警視総監サー・ロバート・アンダーソンが事件隠蔽に協力。 評価:具体的証拠なし。 | |
| 19 | ジェームズ・ケネス・スティーブン (1859-1892):ジャーナリスト。スコットランドヤード捜査課長マクノートンの友人。 |
| 容疑:女嫌いの変人でプリンス・エディー (上述) と知己であった。評価:具体的証拠皆無。 | |
| 20 | ロバート・ドンストン・スティーブンソン (別名ロスリン・ドンストン) (1841-?):医師。 |
| 容疑:殺人、黒魔術、オカルトに興味あり、イ−スト・エンドに居住。当時から嫌疑はあった。 評価:女性に対する暴力性は知られていない。 | |
| 21 | フランシス・トンプソン (1859-1907):詩人。 |
| 容疑:若い頃医学 (解剖学) を学び、アヘンを濫用。1888年頃はホワイトチャペル地区を放浪。売春婦に恋し、1889年には女性を殺害する短編小説を書いた。変死を遂げる。 評価:具体的証拠皆無。 | |
| 22 | フランシス・タンブルティ (1833-1903):カナダまたはアイルランド生まれの偽医者。 |
| 容疑:ホワイトチャペル地区のバッティ・ストリートに下宿していた同性愛者で1888年に4人の男性に強制猥褻を行った後に嫌疑をかけられる。女性、売春婦を憎悪し、子宮のコレクションをしていた。11月24日に外国へ高飛びした後事件が起こらなくなった。 評価:証拠がない。同性愛者と売春婦殺しは結びつかない (性的嗜好が一致しない)。 | |
| 23 | ジョゼフ・ケアリー・メリック (1862-1890):エレファント・マン。 |
| 容疑:庇護を受けていたロンドン病院から抜け出して犯行を重ねた。 評価:フォン・レックリングハウゼン病のため素早い殺人・解剖が無理であったことは当時から明白。 |
2002年にアメリカの著名な犯罪小説作家パトリシア・コーンウェル (著書「検屍官」「スズメバチの巣」「女性署長ハマー」などで日本でも人気がある) は私費7億円をかけて当時の資料を蒐集し、ジャック・ザ・リッパーの正体が上記の画家ウォルター・シッカートであることを証明する著作「切り裂きジャック」を発表した。
詳細は著書を参照されたいが、コーンウェルは当時のジャック・ザ・リッパー名義の多数の手紙は、同じ便せんを使ったり特殊な画材を使うなどの特徴が一致したため大多数が同一人物 (真犯人) の真筆であると考え、そこに描かれている線画とシッカートのものと思われる線画との類似性に注目した。美術学校で解剖学も習っていた。犯行の動機は、生まれつきの外性器の奇形 (尿道下裂?) を幼児期に手術しているが、そのため性的不能であったため、女性 (特に売春婦) を憎悪したと考えた。
さらに2001年9月に、コーンウェルの依頼によりバージニア州犯罪科学研究所のフェラ−ラ博士、DNA鑑定専門のリサ・シアーマイアーらがイギリスのキューの公文書館にあるジャック・ザ・リッパーの手紙のうち、封筒の蓋や切手を念入りに剥がして綿棒でDNAを採取し、シッカートその他の関係者の手紙から同様に抽出したDNAと比較した (シッカ−ト本人の遺体は火葬されていたのでDNA鑑定が不可能:よくある質問の回答を参照。シッカートの子孫もいない)。資料総数55点で、細胞核ゲノムDNAは分析不可能だったが、分析感度の高いミトコンドリアDNA (細胞質にあるDNA) がボード・テクノロジー・グループ (私立のDNA研究所) で検出された。
| 資 料 | ミトコンドリアDNA分析結果 |
| ジャック・ザ・リッパーからロンドン病院病理学記念館長オープンショー博士に宛てた封筒の裏の切手 | 16294-73-263* (その他の配列も混入) |
| オ−プンショ−博士宛の封筒の表の切手 | 上記資料と一致 |
| エレン (シッカートの妻) の封筒 (同じスポンジを使用?) | 上記資料と一致 |
| シッカートの封筒 | 上記資料と一致 |
| シッカートの封筒の切手 | 上記資料と一致 |
| 血痕のついたジャック・ザ・リッパーの封筒 | 上記資料と一致 |
| シッカートが絵を描く時に着たカバーオール | 上記資料と部分的に一致 (73-263) |
| ホイッスラー (シッカートの師匠) の手紙 | 上記資料と全く異なる配列 |
既に事件から110年以上が経過しており、当時の資料の取扱いも鑑定には不適切であったため、DNA鑑定自体が極めて困難を伴ったものと想像される。他の人々が既に批評しているように、資料にそもそも本人のDNAが付着しているか確定できないこと、DNA自体の分解・汚染のため検出されたミトコンドリアDNA配列の正確性が不確実であることなどから、DNAが一致したとしても即証明できるわけではない。換言すれば最初から現代の技術を以てしても確実な鑑定は不可能である。しかし巨額の私費を投入し、可能な限りの資料を集めて行った徹底的な鑑定は空前絶後であろう。